夜景館スタッフ日誌 Sai-ka/学芸員 忍者ブログ
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お昼ごはんはペリメニでした。

ガイドにはロシア風水餃子とありましたが、、、マジ水餃子(あっ、マジって死語ですか?)ただ、水餃子にスープは塩気がなく、サワークリームをぬって食べるので、、、ふ、不思議な、、味。
ガイドには醤油をつけても、絶品とありました、醤油つけたらおいしかっただろうなぁ。

その後はバスに乗って市内観光。
しかし中に入らず、外側写真撮るだけ、、

夜景ツアーでも行った血の上の教会
通訳兼ガイドさんは「僕は中はそれほど美しくないと思う」とかいってたけど!中の美しさは世界一とガイドに書いてあったんです。
きっと入りたい!って声をあげさせないためだったと思う。
、、、うう入りたかった。

  ピョートール大帝像「青銅の騎士」
昔の貴族もどきの格好した人たちが待機してました。
(いままで、私達が行った観光地には大体男女ペアの貴族夫婦がいて、
300ルーブル、1000円弱でいっしょに撮影できるみたい)


この像の前にはイサク聖堂という丸い屋根の立派な教会がありましたが、「あれ、ずーっと階段登らなきゃいけないから、大変ですよー」
とばっさりでした。
同世代女2人組が「いえいえ、何段でも上りまっせ」と同感です。


ただ、年輩グループは「もう、ぐるぐるまわらして、休みたいわ」
とか言ってらしたので、、、いろいろな世代がいるツアーは希望が
バラバラで大変ですね。


ホテルのそばの凱旋門。ドイツに勝った時に記念して。


芸術の都らしく劇場が車窓からでもたくさんあるのが分かりました。
モスクワの最初のホテルで一緒になった、同じツアー会社の主催する10日間コースではオペラと、バレー観賞がスケジュールに組み込まれているそうです。

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いよいよ、エルミタージュ美術館です!
ツアーの中でも、これが目的で参加されている女性が多数でした。
もちろん私めも。
最終日なので、ホテルで荷物をまとめる時間をみたのでしょうが、
集合時間10時で、美術館滞在時間3時間(これはツアー募集時に
明記されていました)なら、1時間早くて4時間見学したい!
と思い出発しましたが、、、ハッキリ言って、3時間後にはぐったり。
最後30分ほど自由時間がありましたが、見学に戻る気力はなく、
お土産物屋と、座ってインターネット画面を見て、休憩しておりました。、、広いですし、枝道に行かないよう、通訳兼ガイドさんには
さんざん脅かされました。(ミイラになるよーとか、3年前の人が今も迷子で彷徨っているよーなど、笑)銀食器の間とか、鎧の間とか、広間一つで日本では展覧会一つ開催できます。もちろん、全部見るなんて!無理!!!日本人ツアーで、1日滞在コースの人達もいました。

玉座の間 

写真では(フラッシュ焚かないなら撮影OK) とてもではないですが、思い出をとっておけないスケールの大きさでしたので
買いました、ガイドブック。
各国の言葉でガイド本出ているようです。

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晩御飯はビーフストロガノフでした。
ストロガノフ家という貴族が存在しているようです。
多分そこの家のパーティーででも出された料理なんでしょう。
ガイドにはストロガノフ家の家庭料理とありました。


その後ホテルに戻り、小休止。
年輩の方はひと眠り、若者?は隣のスーパーでお買いもの。
バスにて夜景観賞に出かけました。



血の上の救世主教会 変換間違いではないですよ!
1881年皇帝アレクサンドル2世が暗殺された場所に、息子の
アレクサンドル3世が、父の死を惜しみ、暗殺された場所に教会をたてさせたそうです。


ロストラの塔台柱

敵軍の船首を切り取り、柱の飾りにして勝利を記念した、ローマの習慣に由来したデザインです。色合いとあいまって、少し悪趣味な気がしないでもない。

、、しかしながら、もう私は眠くてふらふらでした。
バスで移動し、写真スポットで降りて、写真をとる。
バスの中からでも、綺麗な夜景がみれたそうですが、、、
、、、限界でした、ぐぅ。23時半にホテルにつきましたが、
日本時間では朝4時半ですものね。

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この日のお昼ごはんは写真の準備がまだなので、後日。

午後は世界遺産ぺテルゴーフ、別名ピョートール大帝の宮殿に行きました。

大きくて、いたずら好き。噴水がお好きだったのでしょう、
150以上あるそうです。


噴水のまわりにいくつかのベンチがあって、どれかのベンチに座ると
水が噴き出したり、石が敷き詰められている、どこかの石を踏むと
これまた水が噴き出したり(その名もいたずらの噴水)コンピュータ制御もない時代によくぞ、作った。(だから世界遺産なわけだけど)ちなみに、このいたずらの被害者はパーティーに呼ばれ、お酒に酔わされた貴族たち(楽しい人だけど、一緒に仕事すると大変な人っていますよね、、、)


奥に見える青いところは海。フィンランド湾です。宮殿から直通で海に
行けたようです。海からは冷たい風が流れてきました。ぶるぶる。

このフィンランド湾を挟み、スウェーデンと戦争し、勝利25週年を記念して、作られたサムスン像。ライオンがスウェーデンを表しています(スウェーデン国旗にライオンがいます)
25週年ですので、ピョートール大帝時代にはまだこの像は存在していませんでした。300年前、ピョートールさんはこの戦争で捕虜にした、スウェーデン人捕虜と、農奴を使役し、当時沼だったサンプトペテルブルクを建設しました。4万人以上が命を落としたそうです。


、、、捕虜を使役するのは当然なのでしょうね。
第2次世界大戦後では日本兵をシベリアで使役しましたし。
ちなみに夫の祖父はシベリアに抑留されましたが、日本に戻れたので、夫が存在しているわけですが。


300年前に出来たのにやたら像がきんきら金で新しいのは、第2次世界大戦でドイツにここが占領され、像はすべて、破壊または略奪されたたため、すべて再現されたためです。

エカテリーナ宮殿にくらべ、男性的なイメージです。
ただ、時間がないので(泣)建物、博物館の中には一切入れなかったのでなんとも言いようがないですが。

、、ヨーロッパの戦争の歴史を少し考えさせられました。

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さて、ロシアも後半、サンプトペテルブルク(旧レニングラード)です。昔の首都。
前日は早めに着いたため、早く目がさめ、ホテルのまわりを散歩しました。すぐそばに、地下鉄の駅があったのですが、入る勇気が出なかった。モスクワにくらべ、観光場所以外は若干さびれた感じのところもありました。

前中はエカテリーナ宮殿へ
かの有名な琥珀の間があるところです。



実は第2次世界大戦後に修復したようですが、

中はきらきら、デカイ


肝心の琥珀の間はですな、貧乏人の私はプラスチックで出来たのか
琥珀で出来ているのかの見分けがつかない。
ここまで琥珀がぎっしりあると、、、プラスチックにしか見えん。

、、、疲れました。
そして、一応何部屋かごとに入場制限が、あるのですが、、、
団体で待っている私たちをしり目に、個人客がわきをすり抜けていく、
、、、並べよ。順番守れ。

何枚か写真撮りましたが、とてもではありませんが、普通のデジカメには収まりきりません、ハイ。
おとなしく、絵葉書買いました。


丸い金色の屋根の部分が教会です。

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実は飛行機苦手な私です。特に国内線など、小さな飛行機苦手、、
今回も小型機でした。ひやひや(終わってみると穏やかなフライト)
到着後すぐ晩御飯
ロシア料理食べたことなくても、これは知っているでしょう、ピロシキでした!ガイドブックによると、日本では揚げパンのイメージがあるけど、
本場では焼いているものが一般的とある。
わくわく

パンと一緒に撮影しています。奥の細い茶色いもの、1本だけ。
、、、パンとの大きさ比べてください(パンは日本のトーストより
一回り小さい)中身はひき肉でした、そしてなんとパイ生地でした。
美味しかったけど、小さくてちょっとガックし。もう一本食べたかった。
ほかにも魚のムニエル&バターライス、スープ、パンなど食べるのいっぱいありましたので、満腹にはなりましたが。

ホテルはヨーロッパ式の立派なホテルでした。
隣はスーパーでビールやお菓子など豊富に揃っていて、よかったです。
、、、寝るとき室内温度は20度でしたが、暑い国からやってきた私達には寒かったです。
毛布も持って着てください、て英語でなんていうんだっけ?
初めて電子辞書が役立ちました。

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モスクワ16時40分発、空路にてサンプトペテルブルクへ

到着時には夜中でしたが、昼間見ると、ガラス張り(アクリル板かもしれないけど)で宇宙基地みたい。近未来的で、整然としていました。トイレも綺麗で、チリひとつない。
15時過ぎには空港に行かなきゃならないわけだから、
シベリアまで列車を繋いでいる、列車大国ロシア。
せっかくだから列車で行きたかったのですが(1日10往復 4時間半)
まあ、皆様の荷物みて、難しいかな、と。
(やはり、スリやテロや治安上の問題もあるでしょうし、空港は荷物検査が厄介ですが、全員チェック受けているということは、その分安全)

私の荷物は右から2番目、飛行機持ち込み可の大きさです。
皆様荷物大きすぎ。
そりゃ半そでからコート、どんな気温でも対応できる服装を準備しなきゃ駄目だったわけですが。退職後世代の方にはツライ重さだったと思います。ひとりの婦人、ふらふらでしたので、左手自分の荷物押し、右手でお手伝いしました。
まだ行程半分ですよ!お土産まだまだ買うでしょう?
、、、、以降添乗員さんはスーツケースを運ぶ時には、ポーターさんを雇ってくれました。     、、、必要ですな。

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昼食はスープとチキンカツとプリヌイというロシアのクレープ

昼食後、時間があったため(ロシア休日で道路がすいていた)
モスクワ大学へ⇒モスクワ、ほんと平地です。
日本の国土から考えると広大な平地が広がっている。
おまけに地震がない。うらやましいことす。
唯一の丘が、雀が丘でそこにモスクワ大学はあります。
この大学はスターリン・クラシック様式。
モスクワではスターリンのウエディングケーキと呼ばれているそうです。
市内にある7つのウェディング・ケーキの中で最大の建物。


高さ236メートル、正面の幅450メートル、中央32階建ての部分が管理棟。その両サイド17階建てが学生寮らしいですが、もちろん、敷地内には他にも多くの建物がありました。駐車場だけで20数か所あったような。(地図をちらっと見ただけなのでうら覚えですが、、、)
モスクワ大学だけはコネで入れないと言われているそうです。
共産主義時代は学費はすべてタダでしたが、今は大学で学ぶには
お金が必要だそうです。
広大な敷地のようです。見たのは正面入り口だけでしたが。

なおここ、雀が丘は結婚式の写真を撮る人が多いらしい。
多分見晴らしがいいからでしょう。


ロシアは人物の像が多いと感じました。大学、博物館、図書館の前とか
必ず堂々とした人物像があります。この大学へむかう道、両サイドにも
ずらっと並んでいます。(この写真ではぼけてて見えませんが)

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いよいよ世界に名だたる赤の広場、ポクロフスキ―寺院

これぞロシア流教会

モンゴルへの戦勝を記念し、イワン雷帝により建てられた。
完成した建物を見たイワン雷帝はあまりに美しさに驚き、設計した二人、
ポストニク、バルマの目をくりぬいたそう。
 
赤の広場は一般人(観光客以外)は入場禁止でした。
どうやら夜、軍勝記念パレードがあるらいしい。
世界では第2次世界大戦勝利宣言の日で、当時勝った?トルコや、イタリアなどさまざまな国の軍が集まるようです。花火とか打ち上げるようです。、、、通訳さんは詳しい説明を避けられました。
このパレード会場の設置でレーニン廟が見にくかったです。
その後赤の広場に面するモスクワ最大のグム百貨店へ

吹き抜けの三階建て、外資の有名ブランドなどなどが軒を並べていました。イコール私には無縁でいこごち悪い。

観光客用のお土産物屋さんは楽しかったけど

旅行先って、よかったな―と、思っても、戻って買いに戻れないのが
ツライ、恋愛に近いものがありますな。

ツアーの悲しいところ、ホントは同じ広場に面する歴史博物館に行きたかった。

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トロエツェ・セルギエフポサードの帰り、バスにて
ロシア正教についてお勉強(地球の歩き方より)

ロシアはもともと日本と同様自然崇拝多神教だったが、国家の基盤強化
する必要に迫られ、時の王様が当時の4つの主要宗教を比較し、検討。

イスラム教 豚肉・酒禁止⇒飲酒はロシア人の喜びである、却下
ユダヤ教 聖地エルサレムを失っており、斜陽の宗教である、却下
ローマ・カトリックには何ら興味を覚えなかったが、使者が語る東方正教会の典礼の美しさに惹かれ、洗礼を受け、ビザンチン皇帝の妹を奥さんに
しました。めでたし、めでたし。
この割り切り方好きだわ―。合理主義。

ただし、現在のロシア人ロシア正教を心から信じている人も多いと
思います。ミサは本来信者しか参加できませんが、特別に見せて
(参加はできない)もらいました。
今風?モダンな格好した若者のミサに参加するため、長い列に並んで
待っていました。共産主義は宗教禁止なのに、よくぞ存続してきた。

宗教の取り入れかたは日本とよ~く似てるなと。
こちらは中国文化を学ぶためにも、仏教になりましたが。

イコノタス(聖障)教会のの壁にかかれたイコン
世界遺産の世界だわ、感動。

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